さてさて、今回は基本に立ち返り、「透析とはなんぞや?」というテーマでお送りします。
ただ、透析とは何ぞや?といっても、漠然としているのに加え、膨大な数のテーマを取り扱うことになってしまいます。
なのではずはニッチではありますがその技術的・保険的な話から始めたいと思います。
昔話になりますが、少々お付き合いください。
中世には始まっていた血液浄化療法
中世ヨーロッパから18世紀にかけては、瀉血療法というのは実に広く行わてれいました。袂は違えど、当時、疾患原因が血液にあるに違いない!と信じられて血液を対象に治療を行っていた点にフォーカスすると、これも血液浄化療法といえます。
瀉血療法にも色々あり、膿を切開したことが始まりで、その後はヒルを用いた瀉血、そして直接瀉血と進化いていったようですね。
日本でも沖縄で乱切・瀉血療法という名で、江戸末期から明治にかけて文献が残っているようですが、いずれも現代においては何ら科学的根拠のないものとなっています。
現代血液浄化療法の礎
現代では当たり前に行われるようになった血液透析ー血液浄化療法ーではありますが、その技術的源流を辿れば意外に古いものになります。
1854年にThomas Grahamらによる透析の原理が発見されるまでは、先に述べたように瀉血が活発に行われていました。Grahamらは半透膜を開発し、これが何らかの医療に応用できるのではないかと考えたわけです。しかし、そこから実証に至る前には実に60年の歳月を要します。
1914年、Abelは直径8㎜、長さ40㎝のコロジオンチューブ32本をガラス分配管に繋いだものを人工腎臓として発表しました。当時の血液凝固剤は、ヒルから採取したヒルジンが用いられましたが、1916年に哺乳類からのヘパリン分離が成功し、以後はヘパリンが用いられるようになります。この時の実験はイヌからの拡散の原理を用いたサリチル酸の分離実験だったようです。
Abelらは、この論文でPlasmapheresisが毒血症に有効であったと報告しています。
初の臨床応用の開始
1938~1945年、Kolffは回転ドラム式コイル型ダイアライザ(セルロース系膜)を用いて15人の腎不全患者の救命を試みました。人工腎臓の臨床応用の幕開けです。
ただ、この方法は必ずしも上手くはいきませんでした。ようやく救命例ができたのは1945年、急性腎障害の患者の救命に成功したことでした。この当時は第二次世界大戦下であり、クラッシュ症候群になった兵士の救命のために用いられたと言われています。この時には、膜はセロファン膜、抗凝固剤はヘパリンが一般化していました。
戦争の功罪
その後、第二次世界大戦が終結したあとに勃発した朝鮮戦争にて、血液透析は日の目を見ることになります。
1948年にはSkeggs Leonaldsが平板型ダイアライザ(セルロース系膜)を開発、臨床応用しています。同年、米国へ移住したKolffはOlsonらとともに、Kolff-Brigham型人工腎臓を作成、朝鮮戦争におけるクラッシュシンドロームでの死亡率を90%から50%に下げることに成功、一躍国際的な注目を浴びることになり、そこから世界的に人工腎臓の開発が加速していきます。
現代版人工腎臓の開発
朝鮮戦争以後、企業による人工腎臓は加速の一途を辿ります。
しかし、その手技の煩雑さや輸血による肝炎の出現などもあり、実施は困難を極めました。
そんな中、1966年についに現代版人工腎臓の元になる中空糸型ダイアライザが開発されます。中空糸は10,000~15,000本の中空糸が束ねられ、素材としてセルロースダイアセテートが用いられました。
1970年には本邦にも中空糸型人工腎臓の輸入が始まり、広く用いられるようになります。
近代からから現代に至るまで
1974年、旭化成によりセルロース系膜を用いた人工腎臓が開発され、以後、国内メーカーでも開発が盛んになります。同年には東レがPolymethyl metacrylate(PMMA)を発表、1978年にはクラレが今は無きEthlene Vinyl Alcohol共重合体(EVAL)膜を、1979には旭化成によりPolycrylonitrile(PAN)膜を発表。合成高分子膜時代の幕開けです。
技術的・制度的な進歩を経て、1986年、ハイパフォーマンスメンブレン(HPM)の概念が提唱されはじめ、1988年、Polysulfone(PSU) , 1990年にはPolyesterpolymeralloy(PEPA), 1991年にはPolymide(PAM), 1998にはPolyarylethersulfone(PAES)などの材質による人工腎臓が開発・市販されることになりました。
セルロースを化学修飾したセルロースジアセテート、セルローストリアセテート膜もこの頃に国内生産が開始されています。
そして現代では、PSU,PMMA,PES,PEPA,PAN,セルロース系膜が日本で主に流通している人工腎臓ーダイアライザになるというわけです。
特殊血液浄化膜の進歩
1945年、全身性エリテマトーデスに対する血漿交換療法が行われていますが、やはり技術的には早熟だったようです。
その後、1976年、LockwoodらによるGoodpasuture症候群に対して血漿交換が実施され、Varrier-Jonesらにより全身性エリテマトーデスに対する血漿交換療法が行われています。
日本でも1978年に血漿分離膜の製造・販売が開始されています。
1986年には、カネカから血漿分離膜サルフラックスとリポソーバーの製造・販売が始まっています。
1985年、下条武文らが手根管症候群の原因物質であるアミロイド蛋白の主成分がβ2ミクログロブリンであることを突き止めます。この為、HPMの概念が提唱される訳です。
そこから11年後の1996年、日本でカネカよりリクセルが販売開始されます。欧州で販売されるのは2013年からのようです。β2ミクログロブリン吸着器の歴史の始まりです。それを追いかけるようにして、2022年、東レよりリガンドをPMMAとしたβ2MG吸着器、フィルトールが製造・販売されます。
あとがき
ざっと歴史の復習について書いてみましたがいかがでしたでしょうか。
瀉血を含めれば、医学というのはとても歴史が長いものになります(そりゃー不老不死やら錬金術も医療でしょうし)。
保険制度などのお話はまた別記事で行えればと思いますが、恐らくそんなにボリュームのある記事にはなりません(国民皆保険制度自体、日本独自ですからね)。
では今日はこの辺で。
じゃね~~
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