皆さまご無沙汰しております。
さて、今回は管理人の経験談として、転職の失敗をお話しようと思います。
まぁ8回も転職を経験していると色々なトラブルに遭遇するんですよね。
今回はその中でも1,2位を争うトラブルについての失敗談です。
心してお読みください(笑)
できちゃった婚直後の出来事
さて、管理人は執筆時点で10年前、2016年に当時勤めていた職場(現〇誠会〇際病院)の看護師と結婚することになります。
子供を授かったというとこまではいいとしましょう(良くないけど)。
ただ、当時は今の統括をしている技士の上司をはじめ、職場内のいじめやパワハラが酷く、夜勤にも入れてもらえない為に給料が手取りで20万無いという極貧生活を送っていました(真面目に生活保護も視野に入れていた)。
そんな折、一通の連絡が入ります。
「良かったら一緒に働かないか?」
今となっては友人【だった】人間からの誘いでした。
給料も申し分なし。夜勤もなし。透析が無い事だけがネックでしたが、その分心カテがあるので、勉強のフィールドが広がるのではないか?という期待もあり、快諾したのでした。
入職直後の電撃退職
今となっては「なるほど。そういうことか。」という話なんですが。
管理人が入職した直後、病院のゴタゴタにより循環器内科は事実上の閉科。心カテがストップします。
「はぁ!?話違うやんけ!!!」というのはありましたが、こればっかしはどうしようもありません。
幸い心不全入院は取っていたので、前職で培ったCHDFの技術や知識をフル活用し、透析未経験の職場では大変重宝がられました。たまに臨時透析もあったりしましたしね。
しかし、そんな日々を過ごしていたら、青天の霹靂が走りました。
循環器内科の部長が、私を誘った元友人を連れて転職する。という事態が発生しました。
管理人入職半年目での出来事です。
半年でこの話が出ていた時点で、すでに部長や友人は1年から半年以上を掛けて話を進めていたのだろうという想像が出来ました。なんせ地域医療を担う医師の異動ですからね。そんな簡単な話ではありませんし、チームので異動となれば猶更です。
電撃退職のその後
電撃退職を巡り、病院上層部は一悶着あったようです。勿論技士部もそうです。上司を出し抜いて、部長に引き抜かれての異動ですから、上司もいい顔はしませんよね。
管理人の私も、まだまだ職場に馴染んでいこうという矢先の出来事で、急に手綱を離されてしまい、部署内で浮くというか、路頭に迷いました。
何だかんだもその後1年ほど職場で勤めることになりますが、まぁ踏んだり蹴ったりでしたね。
ここで気付くべきでした。
「辞める代わりに人員を補充するために誘ったのだ」と。
二度目の勧誘。それが地獄の始まり。
前述した職場を後にした筆者は、当時結婚していた元嫁の地元である沖縄へ2年間の移住を已む無くされました。
離婚が決まり、もう沖縄には何の用もないとなった筆者は地元大阪へ帰ることは決まっていましたが、就職先が決まっていませんでした。
そんな時です。前述の元友人からまた「俺には透析が分からんから、透析のトップとして俺と一緒に働いて欲しい。」という甘言があったのです。
当時、鬱を発症し判断力が低下していた筆者は、藁にも縋る思いでその誘いに乗ってしまいました。
結果として、僕はまた罠にはまってしまった形になりました。
筆者が入職と同時に、当時の技士長が退職。元友人が技士長へ。筆者は主任兼透析室室長として着任しました。
入職してすぐの頃、透析室室長という立場を利用され、院内の人間関係相関図を紹介してもらう事もなく、透析室に閉じ込められていました。
そして案の定、半年後に、その時も循環器内科ごと、チームで別の病院に異動すると言い出したのです。
この時も、移動先の病院で循環器内科の立ち上げということで、カテ室を作ったりなんだったりしたので、計画は1年以上前から進んでいたんでしょう。
で、自分が辞めるから、その身代わりになる人員を呼んだ。という感じだったのです。
元友人が退職した後は地獄でした。
丁度世界はコロナ禍真っただ中。職場は「うちは2次救急だし、そもそも専門科がないからやらない!」という理由でコロナ受け入れを拒否していました。しかし、稼ぎ頭の循環器内科がなくなったことにより、経営が一気に傾きました。そして、職員からの突き上げもあり、院長の交代と同時に、コロナ対応もすることに。
医療機器の選定購入、病棟の整備、機器の設置。人工呼吸器の導入。
課題は山積みでした。
幸い、体調は上向きになりつつあったので、それほど体調面で苦労はしませんでしたが、院内からの槍玉役としては最適だったんでしょう。散々ボコボコにやられました。
そして極めつけは病院上層部の判断でした。
「循環器内科は医局からの派遣を待つ!」の一点張り。異動した医師二人はフリーランスだったので、まだフリーランスを雇えばいいだけにも拘らず、頑なに医局派遣を譲りませんでした。
また、「心カテのできる技士を雇う!」という事務長の一言により、1年後、外部から臨床工学技士の技士長が呼ばれることになりました。しかもこの案件は、筆者への声掛けをせず、残った平循環器内科医と事務長の二人で行われました。
1年間、一人でコロナ対応に獅子奮迅したにも拘らずこの仕打ちでした。
新技士長と後輩からのパワハラ。そして退職
新技士長は出身が沖縄で、沖縄で色々と事件を起こしたが故に沖縄に居れなくなり、本土に来た人間でした。
まあ問題の多い人間で、パワハラも当たり前。後輩もすぐ技士長に乗り換え、一緒になって筆者を攻撃してくる始末でした。
おかげで体調を崩し、筆者は半年?ほどの休職を余儀なくされました。
休職中にも色々あったようで、その中の一つとして「透析室の閉鎖」がありました。
元々患者数が少なく、どうにか増員を。と頑張っていたんですが、大学から来た医師が「透析室閉めましょう」と発言。そして透析には無頓着無知識の技士長により、透析室は閉鎖が決定しました。
これが決定打となり、「透析室閉じるなら、透析してくれ。で呼ばれた筆者はもう要らないですよね。」ということで、約2年の勤務に終止符を打つことになりました。
結果として、同一人物からの勧誘により、私は二度も人生を棒に振ったわけです。
教訓
この出来事から、教訓として「こいつとはもう働かない。」という選択肢が出たのは勿論、「知り合いと働くことはリスキー」ということも学びました。
余程高給や好待遇ならまだしも、給料は下がるわ待遇も下方修正されるわではやってられませんからね。
知り合いから誘われた時、それは「退職するための代わりの人員を探している」と思った方が健全かもしれません。
そんな人生の一コマ紹介でした。
あとがき
さて、今回はしくじり先生的、人生の失敗談をお話しました。
恐らく筆者はこの元友人の事は一生許しませんし、顔も見たくはありませんね。それくらいには恨んでいます。
亭主関白というか、家庭でもモラハラ気質っぽい事を嬉々として話していた点、僕とは相いれないでしょうね。
ま、これを反面教師に、皆さんも転職活動には気を付けてください。
ではこれにて。アディオース。


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