幸せとはなんなのか?

血液浄化

 今回はとても見づらい、見出しのつけづらーい記事ですんで、読む方は心して読んでください。

 透析現場では「体重オーバー=NG」が常識。でも本当にそれで患者さんは幸せ?――この記事では“数値管理”と“人生の喜び”のバランスを考えます。

 では行きましょう。幸せにとはなんなのか。

ある日の出来事

 つい先日、スペースでフォロワーの方と話していたら、「その考えは新しい」と言われたんですね。

 じゃあその考えとは何かのか?

 それは、「患者さんには幸せに過ごしてほしい」という考え方でした。

幸せに過ごすって?

 透析に従事しているとあるあるですが、中2日(週明け)は体重の増加が激しい方ってちらほらいますよね。中1日でも、色々(冠婚葬祭やら付き合いやら)あって、ちょっと引き切れないくらいの増加をしている患者さんはいます。まぁ普通です。

 で、皆さんはこの体重を目撃した時にどんなリアクションを返しますか?

「またこんなに増えちゃってー(笑)」「何食べたんですか(笑)」

 まぁこんなとことではないでしょうか。

 確かに、長年に渡り、体重増加は中2日でDW+5%。中1日は+3%がCVDの発生率を低くする。予後を良好にする。と言われています。

 けどまぁ人間もロボットじゃありません。感情に起伏があるように、生活にも波があります。

 さっきも述べたように、冠婚葬祭という突発的イベントもあれば、友人知人と楽しくワイワイ過ごす時間も人間には必要です。

 糖尿病に関するStudyだったかで、厳密に血糖値をコントロールした群は、そうでもない群と比較すると意外や意外、予後が悪かった。という話を聞いたことがあります。どうも人間はがちがちに縛ると寿命に悪影響を及ぼすようです。

 なので、僕は僕の中で、患者さんの体重増加や採血データに関して、ある一定の幅を以て看視しています。

 それが「幸せならいいんですよ(笑)」です。

 話は戻して体重増加の話題へ。

 さて、では増えすぎた患者さんに対してはどのように声掛けをすればいいのでしょうか?例えばあるあるで、僕はこうです。

「週末お出掛けでもしました??」

「いや~孫らが遊びに来てたんやわ」

「それは賑やかだったでしょ(笑)楽しそうですね(笑)」

「ほんでもうるさーてうるさーて大変やわ(笑)」

“”「ほんでも幸せならいいんですよ!!(笑)」””

とまぁこんな感じです。典型的な、幸せそーな絵面ですね。

他人の価値観を否定するべからず

 筆者は学生時代からの変遷として、実家暮らし→一人暮らし→半同棲→結婚→離婚して実家暮らし→2度目の一人暮らし←イマココ という感じです。

 一人暮らしと実家暮らしを行ったり来たりしているとわかることですが、一人でする食事はとても味気ないものです。友人知人、恋人や子供、誰かとテーブルを一にしてする食事ほど、料理を掻きたてるスパイスはありません。

 人間の行動原理というのは、恐らくですがミクロに視れば個人の幸福を如何に最大化出来るかを目標に行われています。

 その中で、食事というのは結構な割合を占めて幸せを具現化します。暴飲暴食だって、ストレスという負債を打ち消す為に行われる行為ですし、食べることが幸せでもない限り、暴飲暴食などという言葉も行動も存在しないでしょう。

 様々な制限を課される透析患者さん達です。食事を制限されるというのは結構なストレスではないでしょうか。

 けど誰だって幸せを目指して生きている訳です。

 その中で口から食べるという行為はとても尊く、幸せを噛みしめることのできる時間です。そこに大切な人たちが加われば、自然と話が花咲き、箸も進むことでしょう。

 果たして、誰にその幸せを奪い、責める権利があるでしょうか。

 だからこそ、僕は精一杯患者さんの行動を肯定します。決して否定しません。

 確かに少々除水が多く、辛い透析になるかもしれません。けどそこは耐えていただきまして。

 その他人が幸せだった時間や思い出、それを否定するべからず。僕はそう考えながら、日々業務に当たっています。

「なんでこんな増えたん(笑)」「何したらこんなに増えるん(笑)」

という声掛けは、罪悪感や自責の念を掻きたててしまうトリガーとなってしまい、患者へのストレス以外の何物でもないと僕は考えます。よくて注意くらいにしときましょう(明後日は気を付けてや~とか)。

病態を理解し、その先にある人間を理解する

 昔にも書いた気がしますが、僕自身、初めは臨床工学技士という職業が、ここまで患者に近しい職業とは思いもしませんでした。その為、1年生当時は様々な業務に反発を覚えたものです。

 けど何だかんだ、スタッフというより、患者さん達が僕を受け入れてくれたというのが大きく影響していると思います。

 誰かに受け入れられるという経験が少ない僕にとっては、とても心地いいものでしたし、頑張る原動力にもなりました。

 だからこそ、患者さんの為にもしっかり勉強しよう!と思ったのです。穿刺が上手くなりたいというのも、その一過程でした。

 さて、僕の昔話はこれくらいにしまして。

 体重が増える。血圧が高い/低い。リン/カリウムが高い/低い e.t.c…

 これらには必ず原因があります。それらを理解するには、まずヒトとなりを理解しなければなりません。

 他人を完全に理解することは不可能です。しかし、理解に努めることは出来ます。その努力を怠ることなく、患者に接していれば、いずれ見えてくるものもあると思っています。

SONG HD然り、如何に疲れの少ない=楽な透析を行い、自分時間を幸せに過ごすかが重要と思っています。

 疾患の理解も大切ですが、それを患った人間も一緒に理解してあげれば、よりよい透析医療を提供することが出来るでしょう。

「Take-Home Messages」

  • 患者の“ハレの日”は一緒に喜ぶ
  • 数値はあくまで手段、目的は幸せ
  • 否定ではなく共感から入る

あとがき

 今回は筆者の業務観というか、技士観というかみたいなものを、つらつら文章にしてみました。思考を言語化するという作業は、エビデンスが伴わない分とても危険です。下手すれば価値観同士がぶつかるからです。ただそこで、下手に相手を否定せず、まずは受け入れる工程が必要ですがね。これを怠るから争いが起きるんですよ(プンプン)。

 でもいつからでしょうね。こんなことを思いながら業務に当たりだしたのは。

 恐らく適応障害を発症した後からですね。人の気持ちに機敏になったというか、相手を理解しようと思いだしたのは。少しでもその人に寄り添い、いい医療を提供できるようにと。

 まっ。僕を理解してくれる人は現れませんけどね!!←

 さ、今日はこのくらいで〆ますかね。

 ※本記事は個人の見解であり、治療の変更は主治医と相談を。

 久しぶりの長文駄文、ありがとうございました。ではまた~ノシ

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