おはこんばんちわなら
今回は筆者の思う事を書くシリーズです。
タイトルにあるような「見ている人は見てくれているよ。大丈夫。」的なセリフ、言われたことはありませんか?
けどこれ、筆者は好きではありません。
それはなぜなのか。理由も付けて説明できればいいなーと思っています。
では行きましょうかね。思考の世界へようこそ。
「見ている人は見ているから大丈夫だよ」の罠
皆さん、職場で一度はこのセリフを言われたことがあるのではないでしょうか。
何かしら仕事でミスをしてしまって、まぁそれなりに落ち込んでいたりしたり、肩を落とすような出来事があるときに、周りのスタッフから「見ている人は見てくれているから大丈夫だよ」と。
この言葉、一見その人を思いやって言っているように思いますよね。けど実際どうなんでしょうか。
皆さんはどう思いますか?
もし本当にその人を思いやっているのであれば、その肩を落とした原因である人(上司や同僚)に対して、何かしらアクションをしてもいいのではないでしょか。
励ましの言葉の裏にあるもの
励ましの言葉を贈る人というのは、もしかしたら本心から、良心に従ってその言葉を掛けているのかもしれません。
しかし、そうではない人もいるでしょう。それは何故か。
それは自分の株を下げない、もしくは上げようとする行為を狙っている人が居るからです。
自分が凹んでいる時に、何かしらポジティブと取れるような言葉を掛けられれば、大抵の人はそれを肯定的に捉えることでしょう。しかし、それを言った人は、では何かしら肩を落とした原因を解決してくれるのでしょうか。それはありません。言葉を掛けた当人は、言ってそれで終わり。自己満足の世界に浸ります。「自分は良い行いをした。」ということです。
では自分の立場はどうなるのか
社会において、その単位は組織です。
人間という動物は組織単位で存在し、なにかしらの社会活動を行うことを是とします。
では何かしらミスをしたりした場合に、自分にはどのような影響が出るのでしょか。それは簡単で、上司や周りからの評価が落ちます。簡単な答えです。
そしてここで問題が発生します。肩を落とした原因を作ったのは誰なのか。それは同僚か。それとも上司からの叱責か。
そして、励ましの声を掛けたのが同僚か、それとも万が一ですが上司なのか。
上司であればここでこの記事は終わりです。ですが、まずそんなことはないでしょう。
であれば、誰なのか。筆者の場合は「はぁ…」とインシデントを起こした場時に肩を落としていた時に、この励ましの言葉を掛けてきたのはヘルパーのおばちゃんでした。
確かに。声を掛けられたときには「ははは苦笑」と返事はしたものの、よくよく考えればこれは無意味な言葉・やり取りではないか?と思ったのです。
言い方は悪いですが、事実としてこのヘルパーのおばさんが自分の人事評価をするわけではありません。評価は上がらない訳です。ではなぜこのような言葉を掛けたのか。
先に述べたように、一つは自分の良心に従って声を掛けたのかもしれません。しかし、もしかすれば、「自分は味方だよ。悪くないよ。」というレッテルを貼りたいから来る行いだったかもしれません。真相は分かりません。ですが、疑心暗鬼な面から見れば、後者だという事もあり得るのです。
結論を言えば、この言葉を掛けられたからと言って、部署内で自分の評価が保たれる。もしくは上がることはありません。
これは揺ぎ無い毅然とした事実なのです。
ではどうすればいいのか
この言葉を掛けられた時、ではどの様に対処すればいいのでしょうか。
一般的な成人の対応としては、普通に「ありがとうございます。」なんでしょう。これが一番無難です。
しかし、筆者の場合は少し身構えてしまうのが本心です。この人は何を考えてこの発言をしたのだろうか。自分は敵じゃないよと言いたいのだろうか。それとも味方なのか。
最適解は場面場面で違うものかもしれません。筆者も思いのままに指を動かしている訳なので、特に考えがあるわけではないのが事実です。
もしこうすればいいのではないか?などの答えをお持ちの方が居れば、コメント等をいただけるととても助かります。
あとがき
さて、今回は筆者の最近思った出来事について、ちょこっと見解を混ぜながら書いてみました。
皆さんはどう思われるでしょうか。
自分は正義の味方か、それとも悪役か。まぁ好き好んで悪役になる人はそうはいないでしょう。
もう少し哲学的に話を煮詰めれればいいのですが、筆者のボキャブラリーではこれが限界かもしれません。
今回はこれにて思考の展開は終了。
それではまた。
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